爆誕祭
こんにちは、最終章です。
ちょうど一年前のこの日の私は19歳になり、着々と迫ってくる20歳に脅えておりました。
20歳になるということは大人になるということです。私はその大人になるのが本当に嫌でたまりませんでした。
私がこれだけ大人を嫌っていたのにもれっきとした理由がありますが、なってしまうものは仕方ないと思います。現に今日なってしまいましたし。
大人から見たら私は一生子どもですが、子どもから見たら私は大人です。私は私を大人としてくれる人たちのために、大人にならなければなりません。
今日、私の20回目の爆誕祭に参加しなかった母親さんへ。
母親歴20年おめでとうございます。私はあと2年で、あなたが私を産んだ歳になります。私はせめて、私と妹みたいな子どもができないようにします。子どものまま子どもを産まないでください。今日だけでいいから好きでいてくれたらよかったのにと思っています。産んでくれてありがとうとは思いますが、それ以外に関しては特に何も言いません。
子どもの頃の最終章に関わってくださった大人たちへ。
私は救おうとしてくださったその手を跳ね除け、決して救われまいと生きてきてしまいました。そのうえ私は勝手に 救ってくれなかった と不平不満を引きずりながら生きてしまいました。子どもには大人がどうしても完璧な大人に見えてしまうものです。
私は将来救う側の大人になりたいです。救いたい、幸せにしたいと思う度に 私のことは誰も救ってくれなかったのに とあなたたちの顔を思い出します。それでも、助けを求めなかった私のせいだと思います。
もっと上手に子どもの19年を過ごせていたら、私は全然違ったものになっていたのかもしれません。それでも今の私が選んだ大人に、なれたらと思います。
子どもの頃に大人として見てきた大人は、父親と母親と保育園や学校にいる先生たちだけでした。せめて、子どもと大人という関係性が成立する場面だけでも、大人でありたいと思います。
子どもが成長して大人になると考えられるようになった頃には大人はもうあまり必要なくなっていました。過程を理解し共感してしまうので、わがままにもなれませんでした。それを知ってしまったらもう頼ることはできません。だからどうかそれまでには救えますように。
最後に、私を救ってくださった大人へ。
ありがとうございます。私も大人になりたいと思える唯一でした。
おしまい